ブログBLOG

トップページに戻る

医者事始

2024年06月20日|

カテゴリー: 施設長

医者になると、まず何科をやるか決めなければなりません。

兄貴が内科を専攻したので漠然と外科を専攻し、名古屋大学病院の外科へ入局しました。当時は3ヶ月の麻酔科研修を受けて一般病院へ赴任するのが普通でした。私は長野県の大町市にある市立大町病院に赴任する事になりました。えらい遠くの病院へ赴任するのだねと不思議に思う人もいるかもしれません。当時名大から医師を派遣していた関連病院は、桐生から四国に及び、全国で最も多かったからです。昭和41年7月、着任した際に部長へ「今日は晴天で良かったです。」と挨拶すると、「雲が一つある。」と空を指さされました。部長は名大卒であるが根っからの信州人であった。あまり笑顔を見せず額にしわを寄せている事が多かった。新人がまずする手術は虫垂切除術である。遂に虫垂切除術をすることになった。メスを持って切開しようとした瞬間、「交代。」という部長の声が響いた。理由は教えてもらえなかった。要するにメスの持ち方が悪かったのだと考え、以後は部長のメスの持ち方を凝視した。手術に少しでも手間取ると「交代」の声が響いた。これが1年間続いた後、部長が「虫垂炎の手術は、君と婦長だけでやりなさい。」と言った。部長は大町市ではなく穂高に住んでいた。虫垂炎の手術で夜に呼び出してはならないという事であった。ある時、名古屋へ帰る予定の医師が、「明日は鼠経ヘルニアの手術があるから、勉強しておいた方がいいよ。」と教えてくれたので、手術書を読んでおいた。次の日、部長が突然「君、大腿ヘルニアです。手術しなさい。」と言った。「鼠径ヘルニアしか勉強してきませんでした。」と伝えたが、何故か交代の声は響かず「看護婦さん!手術書を持ってきて読んであげなさい。」であった。看護婦の読み上げる通り手術をした。鼠径ヘルニアと大腿ヘルニアでは手術法が全く違っていた。患者さんは腰椎麻酔であった為、丸聞こえであった。今なら訴訟問題になるかもしれないが時代は違っていた。患者さんは「先生!大変でしたね。ご苦労さんでした。」とねぎらってくれた。このような指導法は現在ないだろう。この指導のおかげで、外科医を全うする事ができ、感謝している。

施設長  立松 輝

ページトップへ戻る

〒485-0075小牧市大字三ツ渕1945番地1

TEL0568-41-3450