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研修時代を振り返って🤔
2025年12月03日|
カテゴリー: 施設長
年のせいか ふと昔を振り返る事が多くなった。
昭和40年 医学部を卒業したが、昭和41年に医師国家試験を受けて医師になるまでは、インターンという身分であった。無給で医師の指導のもと研修するシステムであった。この2年後には給料をもらう現在の研修医制度になった。名大病院でインターンを行う事にした。しかし、カリキュラムは何もなく、指導医がいるでもなく自力でやるしかなかった。そこで兄貴が入局していた第3内科の医局を訪ねた。医局長に心臓神経症の患者がいるので それを診たらと奨められた。その患者と階段を5階まであがった。彼は全然えらくないと言った。その旨を医局長に報告すると、「あ、そう。」で終わった。これじゃ研修にならんと考えて掖済会病院で研修する事にした。マージャン台が4卓用意されており、研修医師12人は毎晩マージャンをやらされていた。救急を絶対断るなという院長命令があったからである。頭部外傷が来た。「お前診てこい。」と言われて外来に向かった。中年の男がベッドに横たわっていた。頭部を触診していたら、ふさふさの毛がある頭の皮膚がコロンと転がり、光に眩しく反射する つるつるの頭が突然現れた。この時初めてカツラの存在を知った。
友人に包丁で腹部を刺された患者が運ばれてきた。手術が始まったが輸血が十数パックも使用されており、えらい重症だなと思っていたが、どんな状態で何が行われているかは皆目分からなかった。「だめだ。」という声がして手術は終了した。術者に「お前家族に話してこい。」と言われた。術野は見ていないが大血管が損傷して出血多量で亡くなったのだと推定した。家族(妻)には、どの血管が損傷したかなど医療的なことは伝えず、亡くなった事と色々な運命や人生がある事を伝えた。それだけで妻は了承した。そういう時代であった。ここでの数々のドラマを経験し臨床医になろうと決めたのであった。
施設長 立松 輝


